大判例

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東京高等裁判所 昭和42年(う)1214号 判決

被告人 早川敏博

〔抄 録〕

所論の要旨は、原判決は、被告人の未必の故意を認めて殺人未遂の事実を認定しているが、本件事案は、未必の故意すら認める余地がなく、傷害と認定すべき事案であるから、原判決には事実の誤認があつて判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないというにある。

よつて案ずるに、原判決挙示の証拠を総合すれば、被告人の殺意の点を含め、原判示殺人未遂の事実を優に認めることができる。もつとも、原判決が、被告人の殺意の点につき、原判示中沢とし子の居室で同女の帰宅を待つていたところ、たまたま原判示本田邦久が独り右居室を訪れたが、その足音や、ドアの鍵を外から開けようとしている様子から、とし子が男を連れて帰宅したものと感違いし、男に対する憎しみと、とし子に裏切られたという感情で気も動転せんばかりとなり、室内に入つて来た本田に対し、とつさに文化庖丁を右手に持ち、同人が死亡しても止むなしとして、その腹部を一突きし、更に、逃げようとする同人の背後から割つたガラスコツプで頭部を殴打したとの事実を認定していて、被告人の殺意とこれに基づく行動がとつさの間の決意と行動であつたことは、所論のとおりであるが、かかるとつさの間には本田が死亡しても止むなしと考える余地がなかつたとする所論はとうていこれを採用することができない。すなわち、原判決挙示の証拠を総合すれば、原判決摘示の経過で被告人との肉体関係を生じ、一たん被告人との結婚を承諾したバーのホステス中沢とし子が、その気持を変転するに至つたので、被告人は同女の真意を確かめるため、とし子の居室で同女の帰宅を待つているうち、前記のように、本田が右居室に訪れたのであるが、これをとし子が男を連れて帰宅したものと感違いして、男に対する憎しみ等のため、とつさに同人が死亡しても止むなしと決意したことが認められ、このような動機、原因からとつさに右のような決意をすることも充分首肯できるからである。次に、原審公判廷において、被告人が被害者本田邦久を刺した状況につき全く判らないと弁疏していること、被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書には、殺意を認めた自白部分があること、本件については、当初警察では傷害事件として立件し、供述調書を作成して検察官に送致したところ、検察官から殺人未遂として取り調べるようにとの指示を受けた結果、警察において、再び被告人を取り調べ、被告人が殺意を認めた自白調書が作成されたことは、所論のとおりであるが、右各殺意を認めた被告人の自白調書が警察官及び検察官の強い誘導に基いて作成されたもので、信用性が全くないとの所論は失当である。すなわち、原判決挙示の証拠その他本件にあらわれた証拠によれば、既に判断したとおりの動機原因から、被害者本田邦久が中沢とし子の居室を訪れた際、とし子が男を連れて帰宅したものと感違いし、男に対する憎しみと、とし子に裏切られたという感情で、気も動転せんばかりとなり、室内に入つて来た本田に対し、とつさに文化庖丁(刃渡約一四糎)を右手に持ち、その腹部を一突きし、脾臓及び小腸二ケ所裂傷を伴う巾四糎深さ一五糎の左下腹部刺傷を与え、更に、同人の背後から割つたガラスコツプで頭部を殴打し、長さ四糎の右側頭部切創を与えたこと、右文化庖丁は、人を殺傷するに足る鋭利な刃物であり、被告人がこれをもつて本田の腹部を一突きした際、刃体が柄に接した根元から折れたこと及び右腹部刺傷の程度からみて、被告人が本田の腹部を強く一突きしたことが認められ、このように、人を殺傷するに足る鋭利な刃物で人の身体の枢要部である下腹部を強く突き刺し、深さ一五糎にも達する刺創を与えたことにより、かりに、被告人が殺意の点を自認していない場合であつても、被告人の本田に対する殺意を充分に認定できるのである。本件につき、当初警察において、傷害事件として捜査して検察官に送致したところ、検察官から殺人未遂事件として捜査するようにとの指示があつたことは、本件事案の性質、態様からみて、妥当な措置であつたものと解せられ、司法警察員及び検察官が、本件における事実関係に即し、被告人の殺意の点につき自白調書を作成したからといつて、右検察官の指示があつたことから、被告人に対し強い、誘導的取調があつたことを推論し、被告人の自白調書の信用性を疑うことは許されないところである。かえつて、被告人は、原審公判廷において、被告人が原判示中沢とし子と深い関係に陥り、強く結婚を希望し、一たん結婚することとなつたものの、同女の気持が変転したので、とし子の真意を確かめるため、同女のアパートに赴き、室内で同女の帰宅を待つていたところ、たまたま本田邦久が来たのを、とし子が男を連れて帰宅したものと感違いし、男に対する憎しみと、とし子に裏切られたという感情で気も動転せんばかりとなつたという本件犯行に至る経緯については、明確かつ詳細に供述しているにかかわらず、本田に対する自己の具体的行動については、一転して、記憶がないとかよく判らないとか供述しているのであるが、これは、本田に対する自己の具体的行動を述べたくないとの態度を示すものと考えられ、被告人の本田を刺したときの状況は全く判らないとの弁疏は、被告人の司法警察員及び検察官に対する自白調書に照らし、とうていこれを採用することができない。なお、弁護人は、原判決が被告人につき殺人の未必の故意を認定したものである旨主張しているが、原判決を通読すれば、原判決は、男に対する憎しみと、とし子に裏切られたという感情で気も動転せんばかりとなり、本田が死亡しても止むなしとして、その腹部を一突きとし、と表現しているところから見れば、原判決は確定的な故意を認定したものと解し得るのであるから、所論は失当である(通常未必の故意については、判文上、死亡するかも知れないがそれもやむを得ないという趣旨の表現が用いられ、この死亡するかも知れないという不確定な要素があることを要するのであるが、単に死亡しても止むなしとしてという表現は、自己の行為により相手方が死亡することを積極的に意図するわけではないが死亡の結果を認容することを意味し、殺害の意図と認容とは、ともに確定的な殺意の態様である)。以上判断のとおりであるから、論旨は理由がない。

(松本 真野 石渡)

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